
向田邦子の功罪
私だけでしょうか。内弁慶と聞くと「昭和のおやじ」を想起してしまいます。若い頃に向田邦子のエッセイ集を読んでしまったせいでしょう。
「内弁慶」「昭和のおやじ」から連想される人物像は、家の中では無愛想でややもすれば粗暴なくせに、一歩外に出ると人あたりがよく、上司にもごまをするという感じでしょうか。
しかし、実際には、人間関係において繊細な感受性を持っている人が、内弁慶になりやすいそうです。
また、自己肯定感が低いため、人からどう思われているか気になって外では仮面をかぶる。その精神的負担の反動で、家では素の自分をさらけ出してしまう。
こういう性質が内弁慶の実相のようです。
向田邦子のお父さんも、実は優しい心の持ち主であることが、「手紙」というエッセイからも読み取れます。
絶対的安心感
ときどき、内弁慶な生徒に遭遇します。
教室ではとても聞き分けがよく、おとなしい良い子なのです。しかし、面談などでヒアリングすると、家ではうるさかったり、大変わがままだったり手に負えないと保護者の方から聞いて、驚くことがあります。
菅田将暉がラジオでこんなことを言っていました。
「自分は学生の頃に、母親に対してブチ切れて暴言を吐いたことがあるが(今は反省している)、それは、母親という存在に対する絶対的な安心感があるからこそ。」
子供が母親にわがままを言えるというのは、逆に言えばそれだけ母親に対する安心感が根底にあるからだと思います。
子供が「内弁慶」に見えるのは、家にいること、あるいは母親の存在に対する安心感の裏返しではないでしょうか。
絶対に言うとおりにしてくれない
自閉症の末娘ですが、養護学校や療育の先生方のおかげで、最近は自分の名前がしっかり書けるようになってきました。
先日、冬休みの宿題をしていたときのことです。
絵日記の宿題なので、自分の名前を書かなくてはなりません。
妻が娘に声をかけます。
「ここにお名前書いてね」
娘は妻をちら見して『ぱらさうろろふす』と書く。
「お名前書くよ、○○○○○○(本人の名前)って書くのよ」
娘はまた妻をちら見して『えうろぷろけふぁるす』と書く。
のようなやりとりを4,5回繰り返した後に、妻はついに諦めました。娘は、明らかにわざと違うことをやっているのです。
恐竜の名前がたくさん書かれた素晴らしい日記?が完成しました。
「私が『お願い、やってね』ということは、絶対にやってくれない。学校や療育の先生の言うことは聞いてくれるのに」
とこぼしていました。
どの家でも同じことは起こっているようです。
言うことは聞いてくれない。
絶対的安心感を土台に反抗される。
それでも、育てないといけない。
つくづく、母親というのは大変だと感じました。