自粛の憂さ晴らしに思いつきで始めた奥の細道談義1
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月日は百代(はくたい)の過(か)客(かく)にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)に蜘蛛(くも)の古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞(かすみ)の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破(やぶれ)をつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸(きゅう)すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸も住(すみ)替(かわ)る代ぞひなの家

表八句を庵(いおり)の柱にかけおく

旅への思い

 元禄2年3月27日に奥の細道の旅が始まります。旅立ちにあたり、芭蕉の芸術観(人生観)が語られています。

 私はこの序文の理解を深めるために、これ以前に詠まれた

 狂句木枯らしの身は竹斎に似たる哉

 という句をご紹介いたします。

 竹斎とは、仮名草子の登場人物、架空の人物です。食い詰めた乞食同然の藪医者なのですが、芭蕉はこの人物に自分を重ねています。笠はぼろぼろ、紙衣(かみこ)もぼろぼろ、所持物も最低限のものばかり。極限まで「余計なもの」を振り捨てて、そこから美を見つめる。それは他人からは狂っているように見えるかもしれないが、それが私の姿なのである。

 したがって、句の頭に「狂句」の二文字を充てて、575の句をわざわざ破調させている。この迫力やいかに。

 それを念頭に置いた上で、この『奥の細道』の冒頭を読んでみましょう。

月日は百代(はくたい)の過(か)客(かく)にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老(おい)をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

 中学校の教科書で習った人も多いと思います。ポイントは「古人も多く旅に死せるあり。」

 です。この「古人」つまり「いにしえびと」ですが、芭蕉の念頭には必ず西行法師がいます。

 西行法師は芭蕉のヒーローです。

 願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ

 と詠んだ西行は、この宣言の通りの死に方をしました。行雲流水のごとく諸国を旅し、歌を詠み、満開の桜の下で息をひきとる。芭蕉でなくても思わずあこがれてしまいます。

 もちろん芭蕉も、そういう生き方を目指しているのです

芭蕉の抑制スタイル

 予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて漂泊の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破(は)屋(おく)に蜘蛛(くも)の古巣をはらひて、

「私も、いつ頃からだろう、片雲の風に誘われるように諸国を旅したいという思いを止めることができず、海辺をさすらい、去年の秋、川沿いのボロ屋に帰ってきて、はっている蜘蛛の巣をはらいのけた」

 適当現代語訳です。【講義】ではなく【談義】ですので、細かいところはご容赦ください。

「海浜にさすらへ」が、何のことやらわかりません。芭蕉はこの前年にも旅をしています。『笈(おい)の小文(こぶみ)』という東海道と近畿を巡る旅です。この発句は

旅人と我名呼ばれん初しぐれ

であり、この句は私の教室で国語を習っている生徒はみんな必ず暗誦します。私の国語教材には、将来の勉強において、自分の教養を深めるための「とっかかり」を随所に紛れ込ませています。

 『笈の小文』の中にも素晴らしい俳句は山のようにありますが、私好みのものを一つ

 ほとゝぎす消行方(きえゆくかた)や島一つ

 さて、脱線が過ぎました。

「海浜にさすらへ」というのは、この『笈の小文』の旅のことを指しています。

 ふ つ う な ら

 何か月にもわたる旅を終えたわけですから、それについてあれこれ語りたいこともあると思いませんか?私はしゃべっちゃいます。景色がきれいだの、めしが旨かっただのと。それを「海浜にさすらへ」と7文字でおしまいです。この抑制っぷりがまた芭蕉のたまらないところです。「何を言うか」ではなく、「何を言わないか」によって芭蕉の芸術性は極まっていきます。まるで「竹斎の身」のように。

 そして、「江上の破屋」は伏線です。後で回収されます。

 深川芭蕉庵は江東区役所のHPで見ることができます

https://www.city.koto.lg.jp/skoto/kotocity/bashou.html

え、家ゆずっちゃうの?

やや年も暮、春立てる霞(かすみ)の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(どうそじん)のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破(やぶれ)をつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸(きゅう)すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲(ゆず)り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

 草の戸も住(すみ)替(かわ)る代ぞひなの家

表八句を庵(いおり)の柱にかけおく。

「やや年も暮(くれ)」と読みます。これを見て

「おいおい送り仮名が間違ってるじゃないか~」とか言ってはいけません。本来送り仮名というのは「フリーダムな世界」です。

 これは古典に限ったことではなく、夏目漱石などの作品にも見られます。今の「統制された」送り仮名の方が歴史的に見れば異常な状態なのです。

 まして、「自主規制」や「ぽりこれ」などの馬鹿げた思想によって、日本語の自由度はどんどん破壊されています。私も敢えてしていることですが、「子ども」なんて絶対に書きません。「子供」です。

 さて「やや年も暮」から「松島の月まづ心にかかりて」までの畳みかけがすごいですね。年が暮れて、春霞が立ったと思ったら、三行後にはもう松島です。はやる心を見事に表現しています。

 そして、「住める方は人に譲り」です。

 出ました。芭蕉の「すごいことを、さらっと言ってのけるスタイル」です。これは深川にあった自分の家を、文字通り人に譲ってしまったのです。旅行好きなのは分かるけど

ふつう、家売るか?

 ここに、芭蕉の「狂」が極まります。

 序盤で、「古人も多く旅に死せるあり」とやり「予もいずれの年よりか」と自分もそうなりたいと言ったのですから、これを有言実行しているのです。

「もうこの旅でおれは死ぬかもしれないから、家はだれかに譲っとくわ」

 譲った相手は、妻子持ち、しかも娘さんのいる家族だと分かります。

「草の戸」は、自分が住んでいたぼろ屋です。

 そんな住まいも、住む人が代わるとお雛様を飾る家になるのだな。という意味です。

「表八句を庵の柱に掛け置く」

 これもちょっと普通は分かりませんね。

 表八句とは、俳諧のはじめの八句のことです。

 あ、もっと分かりませんね(汗

 俳諧というのは、句を付け合って、つなげて楽しむ遊びです。この俳諧遊びには「式目」というルールがあって、同じ言葉は続けるなだの、句の心は戻るなだの、何句目は花だ月だと、いろいろうるさいのです。私もやったことありますけど、まあ難しい(笑)

 芭蕉レベルになれば、さ~らさら~のほいほい~でしょう。

 自分の後、入居する人のために、挨拶の句を残すなんて粋な心遣いですね。

「庵の柱」ですから、たぶん家の中です。

 引っ越してきた家族、新居ではありますが、おせじにもそんなに広い家でもきれいな家でもない。しかし、家の中に入ると何やら柱に巻紙がかかっている。開いて見ると「草の戸も」から始まる連句八句がある。引っ越してきた家族は、しみじみと、しかし暖かい気持ちになることでしょう。

 こういう細やかな優しさも芭蕉の魅力です。

 これから、芭蕉の『奥の細道』の魅力を折々にお話できればと思います。

教室の詳しい内容はこちらです
さくらぷりんと
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