【嫁ブログ】定義って大変(*_*)〔066〕

文学には純文学と大衆文学とそれぞれ定義があるらしい。

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 出版不況という言葉をもう何十年も耳にし続けていますが、文学は斜陽業界なのでしょうか。

私が若いころに学んでいたテキスタイルの世界も半世紀以上の斜陽業界ですし、そろばんの世界も斜陽といえば斜陽です。

これからは5Gなんですよね、5Gって何・・・、5Gよくわからん・・・、5Gついていけない・・・

古い人間になってきているのだと身に染みます。

 

それはさておき、話を戻します。

そもそも自分で本を読むうえでは純文学と大衆文学をいちいち区別して考えたことがなかったので、今更ですがその必要性がよくわかりません。

学生時代に学部の教授から

「手芸を作るな!芸術性と実用性を兼ね備えた工芸作品を作れ!」

とよく言われていました。

私が作品を作って提出すると、ある時は

「うむ、これはすばらしい。これは作品としてなんとも良い。」

と言い、ある時は

「こんなものはダメだ、これはおばちゃんの手芸と同じだ。」

と言い、どうあれば芸術でどうなってしまうと手芸なのかの言葉としての定義説明はまずありませんでした。

しかし、それはそういうものだと思っていました。

取あえず、言語化できない領域というものがあるのだと思っていましたし、思っています。

みんな知ってるイチローさんはご自身でどうやったらヒットが打てるのかを言葉で完璧に説明できるんだそうです。

けれども、長嶋茂雄さんは天才故に言語で説明できないヒットを打ち続けていたそうです。

だから、イチローさんはご自身のことを天才だとは思っていないそうです。

凡人とは明らかに違う、ある一定レベル以上のクラスになるともう、天才か天才でないかや芸術や芸術でないかなど「どうでもいい」ように思えます。

文章も同様にある一定レベル以上の感動を与えてくれるものならその"文字群"の定義など「どうでもいい」と思います。

少なくとも世間が放っておかないレベルの人たちと凡人では大渓谷ほどの隔たりがあるように思います。

高校時代も、大学時代も、社会に出てからも決して敵わない友人たちの背を多数見送って参りました。

昔のメモや走り書き、ノートや原稿用紙に書いた短歌などを書棚や段ボール箱から取り出してみる機会などがあれば、だいたいこう思います。

 「若かったなあ~♪」と。

こう思う場合は凡人100%です。

お疲れ様でした。

 

ちなみに、鑑賞者として私が最も尊敬する芸術家は一竹辻が花染めの久保田一竹氏です。

実物を美術館で観たときに生きててよかったと大げさではなく思いました。

【久保田一竹美術館】リンクはこちら

 

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さくらぷりんと
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