
今日の内容は、あくまで私の好みのお話です。
文学って何?
文学って何なんでしょうか?
ちょっと未だによくわかりません。
先日、「小僧の神様」志賀直哉を読んだ結果、これ以上なく落ち込みました。
名作らしいのですが、感動ではなく落胆してしまう自分がいました。
読んでいる最中もずっと
「これ、書いてる本人の性根が揺れているんじゃないかなぁ・・・」
とずっと思っていたのですが、ラストに作者が突然出てきて、
結末の落としどころに迷った結果、筆をおいて書くのを辞めた
というのですから
「やっぱりか」
とがっかりしたのです。
若いころに読んだ文芸書評雑誌で、
「文学は世の中に問題提起をするのが役割だ」
と誰かが言っていたのを思い出しました。
ですが、個人的には問題提起をされたくありません。
なぜなら、私のような凡人が求めるのは世の中という大海の道しるべとなる北極星であり、船のかじ取りを安心して任せられる天才的な船長だからです。
教えを請いたいのです。
書物に求めることはそういうことか、もしくは単なる娯楽です。
どうやったら間違いを起こさず、少しでもまっとうに生きられるのかの教えを請いたいのです。
自分一人で生涯の大海をまともに泳ぎ切る自信が無いので、知の天才に教えを請いながら進んでいきたいのです。
余計に迷わせるような文学はちょっと個人的には困るのです。
そんなことなら、読まなければいいのかもしれませんが、残念ながら読んでからでないとそれがわからないのですからどうしようもありません。
最終手段は、映画のように最初だけちょっと見て、ついていけなければそれで本を閉じるというのが精一杯です。
「名作」って何なんでしょう。
ちょっと、いや、だいぶわかりません。
世の中の矛盾や人間の矛盾を物語の中に投影させるのが文学の役割というのは本当でしょうか?
どうせダメ人間が出てくる話ならば、いっそのことシェイクスピアの超悲劇話のようにこれでもかという悲劇に誂えてもらった方がすっきりします。
お茶を濁すような結末にして、読者に丸投げするような文学はちょっと意地悪ではないかと思ってしまうのですが、言いすぎでしょうか。
冴えない人間が、おどおどと自分が傷つかないような落としどころを探しても、そんなものはあるわけないのではと思ってしまいます。
書く以上、切られて死んでしまう覚悟で書かないと
「なんか・・・この話・・・何が言いたいのかよくわからない」
とか
「読後感が悪すぎる」
という感想を持たれても仕方がないのではないでしょうか。これも言いすぎでしょうか。
それに引きかえ、落語の世界や俳句や短歌の世界はもっとわかりやすいのではないかと思います。
ついでに言えば、熾烈な争いを強制されている漫画の世界はもっとわかりやすいと思います。
お茶を濁していては誰にも見向きもされないからです。
同様に子供向けの絵本の世界もなかなか厳しいのではないかと思われます。
何せ相手は子供なのですから。
長々とつまらないことを綴りましたが、最後にお詫びを申し上げます。
実はわたくし、漫画はあまり読みません。
多少は若いころに読んだこともありますが、個性ある絵のタッチがどうも苦手なのです。
「読まんのかい!!」
と思いっきり突っ込んで頂けたら幸いです。