話主の視点

 物語を読むときには、「話主の視点」を考えましょう。

「話主の視点」について、小学生でも分かるように解説します。

まず「話主」とは何でしょう。

スポンサーリンク

「話主」とは何か

「話主」とは、物語の地の文を語る、「語り手」のことです。

物語を語る人が、ビデオカメラを持っていて、登場人物たちを撮っていると考えてください。

そのカメラで撮りながら、物語を語る人のことを「話主」と言います。

そして、「話主」は、さまざまな視点で物語を語ります。

「話主の視点」

「話主の視点」は主に3つを覚えればとりあえず大丈夫です。

3つの「話主の視点」

①わたし視点(一人称視点)

②あの人視点(三人称客観視点)

③神様視点(三人称全知視点)

 

①わたし視点

一人称視点ともいいます。

視点が「わたし」でお話が進みます。

物語の中のカメラが「わたし」から見た風景だけを映すドラマです。

わたし視点では、「わたし」が思うこと、見えることしか分かりません。

例えば『吾輩は猫である』(夏目漱石)では、主人公である「吾輩」の視点で物語が始まります。

例1
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。

 

 

②あの人視点

三人称客観視点ともいいます。

誰の心にも入らないので、客観視点です。

物語のカメラがそれぞれの登場人物を撮っているドラマです。

 

例2
そいつは猫である。名前があるかどうかは分からない。どこで生れたかも分からぬ。生まれたとき、その猫は薄暗いじめじめしたところでニャーニャー泣いていた。その猫はそこでおそらく始めて人間というものを見た。

このように、登場人物の気持ちや考えには入っていかず、ビデオカメラで撮っているような描写になります。 よって下線部のように「分からない」「おそらく」のように表現が変化します。

もっとハードボイルドな感じにすると、こうなります。

例2.5
そいつは猫だ。名前も生れも分からない。そいつが生まれたとき、人間というものを見たということはどうも確かなようだ。

 

 

③神様視点

三人称全知視点ともいいます。全知全能の神による視点なので何でも知っています。

登場人物の気持ちも、すべて分かります。

カメラも自由自在です。

例3
そいつは猫である。名前はまだない。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。そいつはそこで始めて人間というものを見た。

下線を引いた部分が、登場人物の心に入っています。

それぞれのちがい

神様視点は、わたし視点とほとんど変わりませんが、違うところは 「そいつ」「吾輩」でした。

 

客観視点では、猫に名前があるかどうかは、「あるかどうか分からない」と推測するしかありませんでしたが、全知全能の神様視点では、猫の心に入り込んで語ることができます。

 

視点は、物語のはじめから最後まで一定のときもありますし、コロコロ入れかわるときもあります。

小学校高学年ぐらいから、文章の視点がどうなっているかを頭の片隅におきながら物語を読み進められるようになりましょう。

 

 

教室の詳しい内容はこちらです
さくらぷりんと
スポンサーリンク
おすすめの記事