わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
『春と修羅』という作品は、いろいろな解釈がある。
それだけ奥深く、難解で、難易度マックスのパズルのようなものや。
この『序』の最初の10行だけで何時間も、もしかしたら何日でも話ができるかもしれない。
宮沢賢治の世界と言葉遣いが独特なのは言うまでもない。
詳しく読み解いていくと、いくら時間があっても足りないので、なるべく簡単に説明する―――
黒縁は、大きめの紙に印刷された詩に、赤と青のペンで書き込みを始めた。
―――どんな難解な詩であっても、日本語で書かれている限り、そこには日本語を土台とした「構造」がある。
まず言葉の意味を考える前に、この詩が、どんな構造をしているかをしっかり把握する。
そして、宮沢賢治の詩に特徴的な( )書きの言葉については、
わしの場合、いつも後回しにして補足的に解釈に加えている。
いつも言うてるけど、わしの読み方が正しいとは限らんからな。
さて、主語は1つしかない「わたくしという現象」で、この主語を受ける形で述語が2つ「ひとつの青い照明です」「ひとつの青い照明です」となる。
構造的には、並列になってることが分かる。ここで、青い四角で囲った言葉を足す。
わたくしといふ現象は
有機交流電燈のひとつの青い照明です
因果交流電燈のひとつの青い照明です
こうして見たとき、違うところは「有機」と「因果」だけとなっているのがはっきりする。
違いを見つけたら、その違いをなんとなく考えてみよう。
ここで言う「有機」とは、まあ、宮沢賢治やから、「有機物」の意味を考えてみよう。
「有機物」とは、「生命活動から生じる物質」または「生物の体を構成する物質」という意味になる。押さえるのはイメージでええぞ。
では「因果」はどうか。宮沢賢治は仏教徒やから、その含みも考えながら、「因果」は「原因と結果」やなと思う。
ここで主語と述語に戻る。
言葉をばんばん切り落として、最終的に何が残るかやってみるぞ。
①(主)わたくしといふ現象は(述)ひとつの青い照明です
この主語述語の関係を、もっとシンプルにする。
⓪(主)現象は(述)照明です
さて、これがここで賢治が言いたいことの根幹になるんやね。
あとはおまけと考えていい。
「現象は照明です」
ってどういうことやろな?
これは、「現象というのは、つまるところ光である」と言っているんや。
わしらはみんな、人間という存在、「わたくし」というものが、一つの物質的なかたまりが生命として存在しているように思ってるやろ?
それが、まあ多くの人が抱く感覚やと思うのやが、
宮沢賢治は、「何を言うてるんや、わしらの本質は光やんけ」と言うてる。
あ、そやな。宮沢賢治は関西弁ではないな。
まあそれは置いといて、続けると、
①の2 わたくしという現象は、ひとつの青い光です
ってなる。
ここに、有機交流電燈をつけてみよう。
「電燈」と「照明」の関係を考慮して、ちょっと加工する。
①の3 わたくしという現象は、生命的に交流する光が映し出したひとつの青い光です
ここで、やっと修飾語のアを考える。
「仮定された」とある。
つまり、賢治の持っている「わたくしという現象」とは、「仮定にすぎない」
「有機交流電燈のひとつ」である。
①の4 わたくしという現象は、仮定にすぎない「生命的に交流する光」が映し出したひとつの青い光です
さあ、やっと前半終了や。わーっと後半行くぞ。
同じように、「因果」の要素を入れてやってみる。
②の1 わたくしという現象は、因果として交流する光が映し出したひとつの青い光です
この「因果」にの前には、大きな修飾語がある
イ「風景やみんなといつしよに」
ウ「せわしくせわしく明滅しながら」
エ「いかにもたしかにともりつづける」
修飾関係は「イ→ウ→エ」となり、この「イ→ウ→エ」がひとかたまりとなって「因果交流電燈」にかかっている。
それぞれのイメージをとらえてみよう。
イ「風景やみんなといつしよに」=この世の万物の全体が
ウ「せわしくせわしく明滅しながら」=ついたり消えたりしながらも
エ「いかにもたしかにともりつづける」=確実に灯りつづける
つまり、「因果交流電燈」というのは、この世すべてのものが一緒になってついたり消えたりしている光であると言われている。
ここでは、相互作用という便利な言葉を使ってみよう。
②の2 わたくしという現象は、万物の相互作用が明滅しながらも灯り続ける「因果関係の結果として交流する光」が映し出したひとつの青い光です
ちょとダラダラしてしまったけどがまんしてや。
さあ、前半と後半の解釈がなんとなくできたので、ここに2つの( )
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
をつけてみよう。わし的に大胆に付け加えるぞ。
① わたくしという現象は、仮定にすぎない「生命的に交流する光」が映し出したひとつの青い光ですが、それは同時にあらゆる透明な光粒子の複合体でもあります。
② わたくしという現象は、あらゆるものの相互作用が明滅しながら灯り続ける「因果関係の結果として交流する光」が映し出したひとつの青い光です。そして、その映し出す元がなくなっても、光は保たれ続けます。
「わしという現象」は、実体を持ったものではなく、
さまざまな光粒子の複合体として現れているものにすぎず、
それは全体性を孕んだ因果としてある。
分かりやすく言えば、「わたしは光、すべては1つ、わたしはその一部」という感じかな。
―――
「まあ、中学生向けならこんなもんかな。意識の問題まで言い出したら、一気に大学生向けになってしまう」
黒縁は大きく息を吐いて、背中を椅子にもたせた。
「しかし、颯一郎。『何の脈絡もなく浮かんだ』ってほんまか」
「そうなんです、師匠。なんで思いついたのか理由が分からないんです」
「この紙に書いてあるぞ」
黒縁は、赤青ペンでマークをつけた『春と修羅』の紙を、颯一郎に手渡す。
「やるよ、それ」
「あ・・・・・・あざす」
「ところで・・・・・・綾子ちゃんって、どんな子? 今日の夕方、親父さんから電話があったんやけど」
「そそそうなんですよ!ひどいと思いません?」
颯一郎が、何か飛躍したことを言うので、黒縁がたしなめる。
「何がひどいねん。ひどい子なん?」
「ちがいます。綾子と一緒に来るおかげで、おれ歩いてくることになったんですよ。自転車使えないんですよ。ひどいでしょ」
「ええ運動になるやんけ」
「自転車だって、立派な運動ですよ!」
颯一郎の愚痴に付き合うのはこの辺にしようと思い、黒縁は帰り支度を始める。
「お前から『春と修羅』を説明してくれと言われた日には、天変地異でも起こるかと思ったわ」
「すいません・・・・・・」
「怒ってるんやない。ほめてるんや。わからんか? さて、今夜は何バーグかなあっと・・・・・・」
「『何バーグ』って、師匠。そんなん『ハンバーグ』に決まってるやないですか」
「どっちに反応してんねん。そやからお前はアホやねん」
「ひどいです師匠。先生が生徒にアホって言ったらダメなんですよ」
「アホにアホ言うて何があかんねん。アホやから教えたる、今日のお前は『本当の勉強』をやったんや」
「え、そうなんですか? 宮沢賢治がですか?」
「ふっ・・・・・・」
と笑って、黒縁は手を振りながら駐車場へ去って行った。
その翌日の夕方6時ごろ・・・・・・
まだ小学生がまばらな黒縁塾に新入生がやってきた。
黒縁が教卓代わりに使っているダイニングテーブルに、颯一郎のお父さんと綾子が並んで座り、対面する黒縁が二人を交互に見ながら、お父さんの口上に耳を傾けていた。
「・・・・・・ということで、せんせ。1ヶ月だけのお付き合いとなりますが、うちの可愛い姪っ子をおねがいします」
お父さんが、ひょいと頭を下げ
「あ、こちらこそ」
と黒縁も頭を下げる。
2人は同時に顔を上げると、ぴったり視線が合った。
教室の中ほどに座り、師匠と父親と綾子の様子を伺っていた颯一郎は、
(なんか、にらめっこしてるぞあの二人・・・・・・)
と思っていたら。
「ガッハッハッハ」
「ガハハハハハ」
とおっさん二人の笑い声が教室に響いた。
「ワッハッハッハ」
「アッハッハッハ」
ひとしきり笑いが続いた後、
「ではこれで」
と立ち上がり、颯一郎のお父さんは、教室を後にした。
残った綾子に顔を向けると、黒縁より先に綾子が口を開く。
「何がそんなに、おかしかったんですか?」
席を立ってすっ飛んできた颯一郎も同じだった。
「師匠。なんで笑ってたんですか?」
「え?」
聞かれた黒縁は、あごに手を当てて天井を見つめ、少し考え込んだ後、こう言った。
「わからん」
「ところで綾子ちゃんは、ここで何をやりたい?」
あらためて黒縁は、綾子に聞く。
「え、なんでもいいんですか?」
「何でもいいよ。学校の宿題でも、二学期の予習でも、何でも」
「でも、ふつう、塾とかだったら、『サマーなんとか』みたいな、夏休み用のうすい問題集とかありますよね?」
なかなか、ませたことを言う子だなと思いながら黒縁は答える。
「いや、そういうのは、うちではやってないんだ。特に希望がないなら・・・・・・」
「はるとしゅら!」
黒縁の言葉をさえぎるように、綾子は指を立てて声を張った。
「はるとしゅらみたいなの、綾子も勉強したい!」
(面白い子だ)黒縁は思いつつ、しかし口では別のことを言う。
「颯一郎も、ずっと『春と修羅』の勉強をしているわけじゃないんよ。でも、綾子ちゃんは、学校ではやらないお勉強がしたいと感じたんだけど、合ってる?」
黒縁の言葉にうんうんうんとうなずきながら
「そうそうそう、綾子もう学校の勉強はよくできるから。ちがうのがやってみたい」
「ふむ……よし、じゃあ、出してみるから待ってて、気に入らないなら他のを出すから言ってね」
と黒縁はパソコンに向かってあれこれ操作を始めた。
その日の帰り道。颯一郎と綾子は町中の夜道を歩く。
8時過ぎの通りは、まだ人通りもあって、その中には塾帰りの学生の姿も多く見ることができた。
自転車であれば2~3分で家に着く道も、歩きだと10分以上かかる。
それだけのことなのだが、夏休みが終わるまで、綾子を連れて歩いて塾を往復するのは、正直めんどくさい。
「綾子気に入った。あの先生好き」
なぜ、綾子はいつもこんなにずけずけと思っていることが言えるのか、颯一郎は不思議だったし、ちょっとうらやましいと思うときもあった。
「よかったやん」
「颯兄ぃ、いいなあ。夏休み終わっても、ずっと行けるんだよね。綾子あの塾にずっと行きたいな」
ほら、こんな風なのだ。綾子は、それが現実的かどうかなど後回しで、自分の願いをストレートに口にする。
「今日初めてだったから、そう思ってるだけで、すぐ飽きるよ」
そう言いながら、颯一郎はなんだか自分の言葉と綾子の言葉は、同じ日本語でも何か違う言葉のように響いている気がしてきた。
「でもさ、いいなあ。颯兄ぃ、あの先生にひいきしてもらっててズルいよ」
「はあ? ひいき? パワハラの間違いやろ!」
颯一郎はむきになる。
タイガースの1球速報観ながら「ああ?」とめんどくさそうに返事する黒縁の姿が颯一郎の脳裏に浮かぶ。
「ぱわはら? ああ、それ知ってる。テレビでみたことある。まあ、いっか。綾子は1ヶ月だけだもんね。でも、つるかめ算とか、百人一首とか、面白かったなあ。ねえ、次の塾っていつ? いついつ?」
「ああ、また明日もあるよ」
「ラッキー。明日、明日、明日」
綾子の言葉に、あきれるように颯一郎が説明する。
「ああ、あの教室は、日曜祝日以外は基本やってるんだ。たまに気まぐれで先生が急に休みにするから『ブッチ塾』なんて呼ばれてるけどな。でもまあ、月謝は安い方らしいからな……あ、そうだ」
「どうしたの?」
「帰ったら聞かなきゃ。なんで笑ってたのか」
「綾子も知りたい知りたい、いきなり笑い出すから、変人になったのかと思ったし……」
マンションの門をくぐりながら、颯一郎と綾子は話し続けるのだった。
(つづく)