
こんにちは塾長です。
ご訪問頂きありがとうございます。
世の中にはいろいろな試験がありますが、司法試験という難しい試験は、六法持ち込み可能なので、難易度はともかく大変公平な試験だと思います。
考える力もろくに育てずに、ほとんど「暗記ゲー」と化している偏差値競争には呆れるばかりです。
人間にはど忘れというものが付きものですから、社会のテストなら年表や資料集を、数学のテストなら公式一覧を、英語のテストなら辞書を持ち込んだっていいと思うのは私だけでしょうか。
すべてがそうだとは言いませんが、日本の教育は、単純記憶が得意な子供にだけ極端に有利な要素が多すぎると感じます。
そんなことだから、「GoToなんちゃら」やりながら「帰省しないでください」というバカみたいな世の中になってしまうのではないでしょうか。
鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の話は、高校の教科書にも載っていたと思うのですが、今の日本のエラい方々はすっかりお忘れになっているようです。
もくじ
宿題やっていない子を「怒る派?」「怒らない派?」
数年前の話ですが、
「私は、宿題やってなくても怒りません」
と言ったら、
「そんなぬるい塾には行かせられない」
という意味のことを言われたことがあります。
宿題やっていない場合は、きちんと怒るべきという考えを否定はいたしません。
ただし、怒っていいのは親に限ります。
そこはそれぞれの家庭の教育方針があるでしょうから、親という立場から怒るのは私がどうこう口をはさむ問題ではありません。
しかし、教師という立場なら、宿題をやってない子供を怒るのは、「体罰はあり」と未だに考えているスポーツ指導者とやっていることは変わりません。
「宿題をやらせること自体が目的」
ならば怒ってもいいでしょう。
そういう教師につけば、子供の考え方もきっと「宿題をやること自体が目的」になります。
「〔学力向上の土台となる〕考える力を育てることが目的」ならば、怒るのは逆効果です。
「怒られるから」
という理由で勉強する子供になってもらいたいでしょうか。
そんな願いを持つ親はほとんどいないでしょう。
考えさせる言葉
先述したように、私にとっては「〔学力向上の土台となる〕考える力を育てることが目的」です。
したがって、宿題をやっていようが、やっていまいが子供には考えさせます。
まずは、人間関係について。
「先生が一生懸命説明して、図も描いて、それを家でおさらいしてくれない子のことを、先生がどう思うか想像してみてね」
つぎに、自己肯定感について。
「君は、宿題を忘れて教室に来る人になりたい?それとも、宿題をびしっとやって教室に来る人になりたい?」
最後に、自由について。
「どんな自分になるのかを、先生が強制することはできません。だって、あなたの人生ですから。どんな自分になるのかを選ぶのは、あなたの自由です。」
ただし、発達の関係で忘れものが多い子供には、また別の対応をする必要があります。(保護者の協力をお願いすることもあります)
私は、「こうすべき」「ああすべき」なんてことを子供達に強制するのが嫌いです。
その代わりに、子供自身に考えさせる言葉がけをするようにしています。
答えは分からなくてもかまいませんし、正解は1つではありません。
面白い子供がいるもので、
「先生は?(なんで勉強するの?)」
と逆質問される場合もあります。
そのときは、
「そんなの、楽しいからに決まってるだろ!」
ととりあえずは答えることにしています。
やりたくないならやめれば?
勉強なんて「楽しくないならやめちまえ」と真面目に思っています。
実際に言うこともあります。
教室でだらだら勉強している子に、
「楽しくないなら、やめてもいいよ」
と言ったことは何度もあります。
おかしなもので、私の方から
「勉強なんて、やんなくたっていいだろ」
「楽しくないならやめれば?」
「勉強なんかして、何の役に立つの?」
などと言えば言うほど、子供は姿勢を正して勉強するようになります。
子供は、子供なりに「勉強すること」を「与えられた権利」のようなものと本能的に感じているのかもしれません。
それが証拠に、上のように子供から「勉強すること」を奪おうとすると、それに抵抗するように勉強するようになります。
逆に「勉強しろ」「まじめにやれ」などと声をかければ、子供は途端に勉強嫌いになります。
「強制されるから勉強する」
「やらないと怒られるから勉強する」
「みんながやっているから勉強する」
なんと窮屈な動機でしょう。
実際には、こんなくだらない理由で毎日の勉強をこなしている子供がほとんどです。
すでに、自分なりの動機を発見していて
「〇〇だから、私は勉強する」
と堂々と私の前で言える子供は数パーセントに過ぎません。
つまり、現代のほとんどの子供は、「強制」「恫喝」「同調圧力」の中で勉強しているのです。
まったく不健全です。
まとめ
私は、宿題をしなくても怒りません。
宿題をしなかった、つまり行動できなかった子供の心理を把握し、子供なりに考える方向に持っていかなくては根本解決はしません。
その場で怒って反省させてもまた忘れることを繰り返します。
確認も大切です。
「宿題、やってないんだ、ふーん」
ほとんどの子は、きまり悪そうに言い訳をはじめます。
うしろめたいのです。
うしろめたさは、自己肯定感の反対側にある感情ですから、その感情が自己肯定感の側に向くように背中を押してあげる言葉かけをするように心がけています。
手間と時間と忍耐を要する指導ですが、子供の心構え(マインドセット)を変えようとするのですから、こちらにも相応の覚悟が必要です。
「他人と過去は変えられない」
というようなことがよく言われますが、それを曲げて「子供」という他人の心構えを変えようというのですから、簡単なことではありません。
そして、宿題をやっていない子供を単純に怒るだけでは、考える力が育たないことを繰り返し強調しておきます。
追記
ここで説明した私の生徒への対応は、あくまで一般の生徒が対象です。
私の教師としてのモードには、「仏モード」と「鬼モード」がありまして、一部生徒には「鬼モード」で対応する場合があります。
しかし、その場合でも、生徒との信頼関係がしっかりできていることが大前提です。私について来る気のない生徒に「鬼モード」を発動しても碌なことになりません。