「自分で考える」態度を育てる【その5・トイレは自由】

ある保護者の方が、呆れと憤りをにじませて私に教えてくれた話があります。

その保護者の方の子供が通う小学校では、掃除の時間に赤白帽をかぶるそうです。

体育の時間にかぶるやつですね。

そこの学校では、掃除の時間に、みんな白色にしてかぶることになっているのだそうです。

そして、掃除中おしゃべりをした子供は、帽子を赤色に変えなくてはならないんだそうです。

ひどい話です。

掃除の目的が何なのか、さっぱり分からなくなっています。

掃除はきれいにすることが目的です。

ところが、いつの間にか「しゃべらないこと」が目的になっています。

子供に対しても大変失礼だし、直言しますと子供には「おしゃべりをする権利」があります。

わいわい楽しく掃除したって、きれいになれば目標達成です。

学校という場所は、1から100までこんな調子です。

 

うまくいかなければ、うまくいくにはどうしたらいいか考えさせて、解決する方向にもっていくのが学校の役割なのに。

「規則を増やして」「規則に従わない子供を罰する」のが学校の役割だと思っているようです。

 

あきれたもので、やっていることがどこぞの独裁国家と同じであることに早く気付いてほしいものです。

何かと言えば統制しようとする今の公教育に「自由」や「人権」なんて語る資格はありません。

 

その学校の責任者の方は、さぞかし崇高な教育理念をお持ちなんでしょう。

私は世俗にまみれた小さな塾の教師なので、自分の塾の生徒には「統制的」なことはいたしません。

 

ところが、私の教室に入りたての生徒は、小学校と同じような感覚で私と接触してきます。

無理もないことです。

「ここは学校と違って、自由な空間なんですよ」

と口で説明しただけでは、分かりませんので、私がどのように生徒と接しているのか。

具体例をいくつかご紹介いたします。

ポイントは、「優しく鍛える」です。

ご紹介するやり取りは、私が現実に生徒と交わした会話に少しアレンジを加えています。

そして、これらのやり取りは、すべて笑いながらやっているとご想像ください。

 

 

もくじ

1.トイレは自由〔基本的人権の尊重〕

トイレは自由・その1

生徒「先生、トイレ行ってもいいですか?」

私「ダメって言ったら行かない?」

生徒「(ブルブル顔を横に振る)」

私「次から勝手に行ってもいいよ」

 

トイレは自由・その2

生徒「先生、トイレ行ってもいいですか?」

私「ああ、トイレな。うん、まずこの道をまっすぐ北に進んで、あそこに席の切れ目があるよね。そしたら、そこを西に曲がるとドアがある。そのドアを開くとトイレだよ!いってらっしゃい!」

 

トイレは自由・その3

生徒「先生、トイレ行ってもいいですか?」

私「トイレのドア見て!ほら『トイレは自由』って書いてあるよ。行ってらっしゃい!」

 

 

〇〇の勉強していいですか?〔学問の自由〕

〇〇の勉強していいですか? その1

生徒「先生、○○の勉強していいですか?」

私「うむ、おぬしには〇〇の勉強をする自由があるでござる。その昔、寛政異学の禁というのがあってだな……(略)」

 

〇〇の勉強していいですか?その2

生徒「先生、〇〇の勉強していいですか?」

私「許可なら求めなくていいですよ。報告なら『○○の勉強します』って言うべきですね。」

 

〇〇の勉強していいですか?その3

生徒「先生、〇〇の勉強していいですか?」

私「先生、何て返事すると思う?」

生徒「好きにしろとか、そんな感じ」

私「オッケー」

 

 

〇〇さんが寝ています〔課題の分離〕

○○さんが寝ています・その1

生徒「先生、○○さんが寝ています」

私「眠いんじゃね?」

 

○○さんが寝ています・その2

生徒「先生、○○さんが寝ています」

私「大丈夫、ヤツも起きたら勉強するから」

 

○○さんが寝ています・その3

生徒「先生、○○さんが寝ています」

私「見たら分かるし、そんな報告いらん。それより自分の勉強がんばれ」

教室で寝る子への対応

私の教室では寝るのは自由ですが、起きた後、寝ていた時間の落とし前を付けてもらいます。(3年生以上)

「寝るのは自由です。でも、寝ていた間にできたはずの勉強は取り戻してもらいます。(宿題or居残り)勘違いしないでね。寝るのは構いません。その代わりやることはやってもらいますというだけです」

 

シャーペンでもいいですか?〔筆記具の自由〕

そろばん教室では、私が直接指導するときは筆記具やそろばんを持って先生の前に座ってもらいます。

シャーペンでもいいですか?その1

私「〇〇ちゃん、そろばんとえんぴつ持って先生のところにいらっしゃい」

生徒「シャーペンでもいいですか?」

私「あ、そういうの自分で決めて。筆ペンでも先生は怒りません!」

 

シャーペンでもいいですか?その2

私「〇〇ちゃん、そろばんとえんぴつ持って先生のところにいらっしゃい」

生徒「シャーペンでもいいですか?」

私「(苦しそうに)えんぴつじゃねえと死ぬぅ!えんぴつじゃねえと死んじまうよぉ!……ってそんなわけないやろ」

 

シャーペンでもいいですか?その3

私「〇〇ちゃん、そろばんとえんぴつ持って先生のところにいらっしゃい」

生徒「シャーペンでもいいですか?」←アールズ歴5年の大ベテラン

私「何て答えると思う?」

生徒「べつにどっちでもいい?」

私「分かってんなら聞くな笑」

 

 

まとめ

生徒達が、なんでもかんでも許可や確認を求めてくる背景には、学校での統制が常態化している子供達にとって気の毒な現状があります。

帽子の赤白よろしく、

子供達は、教師の細かいこだわりに対応し、

それに対応できなければ他の子供達の前で、注意を受けたり、叱責されたりするのです。

そんな目に遭うのは誰でも嫌ですから、

「そんな細かいことを?」

というようなことを確認するようになるのです。

学校という場所で、意味不明なくだらない統制を受けている子供達です。

せめて私の教室にいるときはのびのびとやってもらいたいと思い、そういう雰囲気づくりを心がけています。

さくらぷりんと
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