自尊心を育てる学びを実践します

自尊心を育てたい

1 目指すもの

ただ勉強するだけ、成績を上げるだけの教室にはしたくありません。

追求しているのは、子供達の主体性です。

自発的な学びの中から

「どうして勉強しないといけないか」

の真の発見を目指します。

 

2 土台となるのは主体性

「勉強する理由」に1つの正解はありません。

みんなちがって、みんないいのですが、それは他人に吹き込まれたり、強いられたりするものでは意味がありません

ただし、はじめは周りの大人に教えられるのでもかまいません。

しかし、成長するにつれて、自分の中から芽生え、やがて確信に至るのが理想です。

そして「勉強する理由」は、本人が人生を経る中で変化していくこともあります。

例えば私の教室にはこんな小学生がいます。

「恐竜博士になりたいから勉強する」

素晴らしい理由です。

なぜ素晴らしいかというと、この理由が、自分の中から出てきたものだからです。

このような「勉強する理由」に至るためには、「学び」そのものが主体的でなければなりません。

与えられた課題をこなすだけの日々では、勉強が嫌いになっても無理はありません。

 

そして、テストの点数や順位によってのみ優劣を競う世界では、子供達の心はどんどん削られてゆきます。

 

それに、得意であることとテストの点数がいいことは、同じことではありません。

 

主体的に学ぶ姿勢を土台にして、自尊心を育てるのが私の目標です。

 

3自尊心を育てる

日本の子供達の心は劣等感だらけです。

世界的に見ても、日本の子供は自己肯定感が低いという数字が出ています。

その理由については後述するとして、

「ではどうするか」が大切です。

具体的には、

行動を認める

これを学習過程と授業の端々にちりばめることが秘訣となります。

 

4行動を認める

なぜ「ほめる」ではなく「認める」なのか。

子供が何か行動したとき、それをほめるのも良いのですが、認める方が上策です。

「すごいね」と「ほめる」ことも、子供の自尊心を育てるのに効果があります。

しかし、実のところ、これはほめられた当人にとって「与えられた価値」になってしまいます。

 

あまり「ほめる」を浴びせ続けると、子供が他人からの評価ばかりを気にするようになる可能性もあります。

 

しかし、「よかったね」と「認める」場合、行動の価値を本人に返してあげることができます。

 

「よかったね」は「(あなたにとって)よかったね」という意味です。

 

自尊心を育てるには「ありのままの自分を受け入れる」ことが大切です。

 

行動した結果、他人の評価ではなく、自分の価値が高まったと実感できることが大切です。

 

私は、「行動を認めること」の繰り返しを「仕組み化して」自尊心の育成に取り組んでいます。

 

たとえば、ラッキーカードの仕組みがそうです。

 

私の教室のラッキーカードの仕組みは、単なるご褒美システムではありません。

 

生徒達の努力と成果を「認める」ための仕組みとして考え抜かれています。

 

ラッキーカードの仕組み以外にも、生徒達の自尊心を育てるための取り組みは常に教室内で試行錯誤し、工夫を重ねています。

なぜ日本の子供達は自己肯定感が低く、劣等感にさいなまれているのか

理由を整理しますと主に3つ挙げられます。それは簡単に言えば「世代」「世相」「教育」の3つです。ひとつずつ解説します。

①「世代」による劣等感

にわかには信じられないでしょうが、劣等感は世代間で受け継がれます。

 

祖父母や両親の持つ劣等感が、遺伝するかのように子供に受け継がれるのです。

『死に至る病』(岡田尊司著)という本を読むと、そのことがよく分かります。

私がこういう指摘をすると、

「じゃあ親が悪いのか」

とすぐに考える方もおられるでしょうが、そういうことが言いたいのではありません。

当たり前のことですが、世の中のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんは、子や孫のためにみんな一生懸命やっています。

 

したがって、子供が持つ劣等感を「家庭環境のせい」「親や祖父母のせい」という責任論に持っていくのは違うと思います。

 

本人の持つ劣等感を「誰かのせい」にしても、問題は解決しません。

 

しかし、問題の本質を理解することは必要です。

 

②「世相」による劣等感

「いい学校に進んで、安定した職につき、人生の安定を手に入れる」

そのために勉強しなさいという大人が非常に多かったわけです。

 

昭和から平成にかけて、そうした「世相」というか価値観が支配的だった時代が長く続いたような気がします。

 

たしかに、現在でも大卒と高卒の年収格差は数千万円あります。同じ大卒でも出身大学によって格差があることも承知しています。

 

しかし、だから何だと言うのでしょうか。

 

私たちは、お金のためだけに勉強しているのでしょうか。お金が欲しいならお金儲けの研究をすればよいのです。

「学歴によって年収格差がつくんだぞ」

 

と言いながら子供達に勉強させるような教師に、私はなりたくありません。

 

「いい学校に進んで、安定した職につき、人生の安定を手に入れる」という考えと「学歴によって年収格差がつく」という考えは親戚のようなものです。

 

こんな考え方に基づいていては、子供の自尊心を育てられないのは明らかです。

 

世間を覆うこうした空気に、「教育」の問題が合わさって子供達に覆いかぶさり、多くの子供に劣等感を与え、大人になっても劣等感に苦しんでいる人がたくさんいます。

 

「勝ち組」「負け組」などという言葉にそれが表れていると思います。

 

古い価値観を刷新し、余計な劣等感を子供に与えない勉強のあり方が求められています。

 

③「教育」

さて、平成10年に国内の年間自殺者は3万人を超えました。

そして、平成26年でも年間で2万5千人以上の方々が自ら命を絶っています。(厚生労働省)

 

次に引きこもりです。

平成25年における、15~34歳の引きこもりの人(無職業者)は60万人,15~34歳人口に占める割合は2.2%だそうです。(内閣府)

 

ここまで数が多いのは、個別の問題ではなく社会問題として捉えるべきでしょう。

 

自己責任論で片付けるのは無理があります。

 

この問題の背景には、さまざまな要因が考えられます。

 

経済問題、戦後レジームの問題、食の問題と例を挙げればきりがありませんが、この中に教育の問題も入って来ると私は強く感じています。

 

日本の大部分の子供達は頑張っています。

 

毎日の習い事をこなし、テスト勉強をし、親の期待に応えたい、親にほめられたいと思いながら頑張っている子供の姿を私は目の当たりにしています。

 

しかし、子供時代にそうやって頑張っても、挫折し、苦悩し、家に引きこもって外に出られなくなったり、自ら命を絶つ選択をする人が多いことは上述した通りです。

そんなことのために頑張ったわけではないのに、結果的にそうなる人が多いというのは、この世の中の「何か」が間違っているのです。

しかし、私たちの多くは、その間違いを正す力を持っていません。

 

その力を持っているはずの人々は、自己保身ばかり考えているというのが今の日本の現実です。

 

私にできること

さて、こんな厳しい状況の中で私にできることは何でしょう。

 

幸運にも、私は自分の教室を持ち、選択肢のある自由な立場で勉強を教えることができます。

私は、私にできることをやります。

 

目の前の生徒達にいかに「明るく・楽しく」学んでもらうか、いかに自尊心を育て、主体的に学ぶ心を持ってもらうかについて、日々工夫し続け、実践することが私にできることです。

私の生徒が大人になったとき、

「気づいたら、自分で考える習慣が身に付いていた」

「気づいたら、勉強する意味に気づくことができた」

「気づいたら、周りに振り回されることなく自分のことを考えられるようになっていた」

そういう風に感じてもらえたら幸いです。 

さくらぷりんと
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