
今後、時々発達障害に関するお話もさせて頂こうかと予定しています。
今日はその入り口として一つのエピソード
この子ヘン!
私「先生、娘はよく周囲の子供たちから『この子ヘン!』と言われるんです。」
M先生「お母さん、Sちゃんはヘンですよ。」
私「?!」
このやり取りは娘が3歳くらいの頃にあったことです。
私はよく行く公園や、百円ショップの店内などで、他の幼児の子たちと娘が接近した際に、他の子たちから自分の娘のことを「ヘン」だと言われることを悲しんでいました。
それで、当時通っていた発達外来の病院のM先生に相談したのですが、先生からはっきりとそう言われて吹っ切れたのです。
そうか、娘はヘンなのか。
普通とは全く違くことは承知していたはずなのに、ヘンという言葉には過剰に反発していたのです。
ヘン
この感想は、定型発達の子供たちからすれば明らかに当然のことなのです。
私はやっと「ヘン」という言葉を受け入れることができました。
お出かけの工夫
それ以来、他の子と摩擦を起こしそうな場所へは意識して連れて行かないようにしました。
本屋で立ち読みした自閉症の本にも、それは正しい判断だと書かれていました。
スーパー、公園、イベント等、土日などで特別親子連れが多くいるだろうタイミングは避けます。
平日や雨の日など、人が少ないと予想される場所へできるだけ連れて行くようにしました。
土日にどうしても人込みへ連れて行かなければならないときは、お父さんにも同行してもらい、夫婦で娘を挟んで他の人たちと摩擦を起こさないように工夫します。
保育所
同年齢の子供たちと、どうしても一緒に過ごさなければならなかった保育所は、結果的に娘のトラウマの場所になってしまいました。
園長先生も担任の先生も加配の先生も皆大変親切で、熱心でとてもよくしてくれました。
それでも、やはり年々同年齢のお友達との差が大きく開いていきます。
このことが娘を追い詰めていったようです。
卒業後に、保育園の夏祭りやイベントに招待状が送られてきて娘を連れて行った際、保育園の建物の姿が見えてきたところで、娘は滝のような涙を突然流し出したのです。
言葉をほとんど話せない娘は、ただただ大声でわんわんと泣き続けました。
その日、娘が保育所で言葉にならない我慢を沢山してきたのだと初めて知りました。
ずっと娘の側に寄り添ってきたはずなのに、全く気づきませんでした。
「母親の自分が一番娘のことをわかっている」と勝手に思っていましたが、そうでもないようです。
見守る
M先生には、こうも言われました。
「お母さん、気持ちはわかりますが、そこで手を出さないで、Sちゃんがこの後どうするか、目線の先を見ていてください。Sちゃんは今欲しいおもちゃが無くて困っています。でもほら、動いて探し始めましたよ。ほら、他の物にも手を伸ばし始めましたよ。」
この時が、私が見守るということを意識し始めた最初の瞬間だったと思います。
言葉をほとんど話さなくて、感覚過敏で、パニック状態にしょっちゅうなる娘です。
放っておけなくて、見守るということはうちの子には必要ないと思い込んでしまっていました。
スイッチ
M先生に「ヘン」発言をいただいた日から5年が経ちました。
障害の有無に関わらず、子供の発達に合わせて見守るということの大切さを今は強く感じています。
この5年の間に、私はどんどん仕事が忙しくなりました。
見守るどころか娘を放って寝落ちしてしまうことが多くなってしまっています。
それが逆に良かったこともあります。
私が寝落ちすると、娘の脳内で特別なスイッチがオンになるようです。
朝、娘が寝ている間に、もそもそっと起き上がり部屋の片づけを始めると、次々に図画や工作の傑作を発見します。
床が見えなくなるほどに散らかしきったリビングや布団の上に、立体のカブトムシやアパトサウルスが立ち上がっています。
この5年間で、段ボール箱10箱以上の図画や工作の数々を作った娘は、今は生きた昆虫や魚に夢中です。
ちょうちょやダンゴムシや魚を追いかけて私を連れまわします。
キャッチアンドリリースも定着しました。
これからどんなスイッチが入るのか寝て待つことにいたします。


