【嫁ブログ】明治と森鴎外とウイルスと・第3話〔100〕

この記事は全4話のシリーズとなっております。

 

翌日

 

私 (あの話、どこで見聞きしたんだっけなあ・・・)「あ、思い出した。」

夫「何を思い出したの?」

「明治天皇が崩御された際に十文字切腹をした乃木希典(のぎまれすけ)陸軍大将のことを夏目漱石と森鴎外が称えている反面、芥川龍之介や志賀直哉ら若い世代が非難したとどっかで聞いたんだけど、どこだったかなぁと思って。『こころ』っていう夏目漱石の小説はこの明治天皇の崩御によって殉死していく人たちのことを描いたものであるとどっかでかじったのよ。もう一度『こころ』を復習する前に気になったから。まあ、思い出せたからもういいの。それより先に鴎外の方の復習を終わらせないと。」

「森鴎外ね、石炭をば早(は)や積み果てつ。中等室の卓(つくえ)のほとりはいと静かにて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。五年前(いつとせまへ)の事なりしが……」

「もう、いいから!」

 

さて、以前にお話させて頂いた5人の〇田さんのお一人が福岡伸一先生(生物科学者)の『動的平衡』を取り上げていた回を聞く機会があり、

例のごとく手帳にガ―――――ッとトークを書きとめてみたのでそれをご紹介させて頂きます。

その前に、新千円札の図柄に選ばれた北里柴三郎先生のおはなしを前置きでさせて頂きたいと思います。

以下は学校法人 北里研究所北里柴三郎記念室のホームページ内より一部抜粋させて頂きました。

北里柴三郎

1853年1月29日生まれ(嘉永5年12月20日)

現在の熊本県阿蘇郡の小国町北里で代々庄屋を務める家に生まれる。

1886(明治19)年からの6年間、ドイツに留学。

病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホに師事し研究に励んだ。

留学中の1889(明治22)年に破傷風菌の純粋培養に成功。

さらにその毒素に対する免疫抗体を発見し、それを応用して血清療法を確立した。

この業績により、一躍世界的な研究者として名声を博した。

1892(明治25)年、帰国後まもなく、福沢諭吉らの支援の下、「私立伝染病研究所(後に寄付して国立となる)」を創立。伝染病予防と細菌学の研究に取り組んだ。

翌年、日本初の結核専門病院「土筆ヶ丘養生園」を開設し結核予防と治療に尽力した。

また、1894(明治27)年、香港で蔓延したペストの原因調査のために現地に赴きペスト菌を発見した。

1914(大正3)年伝染病研究所が内務省から文部省に移管された。

これを機に所長を辞任し新たな医学研究機関「北里研究所」を創立して初心を貫いた。

 

改めまして、ここから〇田さんのお話です。

時代は日露戦争時

NHKで大評判になったドラマ、「坂の上の雲」、この中で戦闘以上に死者が多かったという病気がある。

この病気がなんと脚気(かっけ)

日本人の招へい3万人が脚気で倒れてかなりの数が死亡している。

最初にこの病に遭遇した日本の陸軍はひたすら原因を「細菌」だと思う。

「細菌だ」と言い続けた人が森鴎外なのよ。

とにかく戦場でこの病が発生した。

これは、陸軍海軍で原因究明を行うが、原因究明の仕方が二つで違った。

陸軍は第二軍医部長として、森鴎外(森林太郎)がいた。

この人は細菌説を採る。「細菌による病なんだ」と。

森鴎外と言う人は細菌学の第一人者、ローベルト・コッホという人をすごく尊敬していた。

ローベルト・コッホさんが炭疽菌、コレラ菌を発見している。

コレラ菌を見つけたというのは西欧文明にとっては一大金字塔。

このコッホさんの弟子が北里柴三郎。

この北里柴三郎さんが、コッホさんのもとで破傷風菌を発見する。

森鴎外は自分も菌を見つけたいと思ってた。

そこへ脚気が来たのでどうしても菌じゃなきゃだめだと思った。

これに比べて海軍は合理的だった。

海軍は何で脚気がおきるのかと言うのは「集団生活」が始まってからだと。

「集団生活」って何かと言うと、同じ釜の飯を食い始めるとこういう病気がワッって軍隊に広がる。

ということは共通点はたった一つ、集まったがゆえに「菌」か、もう一つの可能性「食物そのもの」じゃないか。

髙木兼寛(たかぎかねひろ)さん、海軍軍人としてやっていくうちに、どうも白米が原因じゃないかと。

軍人さんは農家の次男坊、三男坊が多かったから、明日死んでもいいから今日だけ白米が食べたいという人がいっぱいいた。

命を懸けて戦うんだから、白いまま食べさせてあげたいと言うのが親心であって、これが逆に脚気を招いた。

海軍は麦飯に変えた。これで脚気の死亡ゼロにした。

ここから研究が始まる。そして、ビタミンを発見する。

当時、早々と北里柴三郎は脚気に関しては「細菌は違うんじゃないか」と「何か食品関係らしいよ」というのをどうも思っていたらしい。

それで、北里さんが日本に帰ってきたときに、大学に入れさせない。

普通だったら帝大の医学部に招いてってなるところ、

だって、ノーベル賞をもらってもいいくらいの大発見している人だから。

今でいう東大に入れて、帝大の医学部の先生に迎えるべきなんだけど、雇わないの。

その北里柴三郎の医学的知識がもったいないというので、「このお金使って」ってお金を出したのが福沢諭吉なんだって。

それで、目黒に研究所を作るんだって。

 

 

私「ここで一息、ね、さっきの北里柴三郎さんの経歴のお話で下線を引いた部分、あそこの違和感にみなさん繋がったでしょ♪」

 

〇田さんに戻ります

コッホや北里さんがやったやり方というのは、細菌に対して血清療法。

ちょっと弱いのを体に入れて、抗体をつくらせるというやり方ね。

血清療法を一生懸命研究して、世界中のいろんな細菌の病気があるけど全部やっつけてやろうと。

同じく、一生懸命研究していた人に英国人のフレミングと言う人がいた。

この人がある時、失敗しちゃったらしい。

シャーレの中で黄色ブドウ球菌という細菌を培養していた。

ところが、シャーレを綺麗に拭いてなかったので、カビが生えたんですね。

で、それは失敗なんですよ。

ちゃんとしてなかったから、そういうカビが混入するという使い物にならないことにしてしまったんですが、

フレミングさんの偉いのは、その失敗したカビの生えたシャーレをしげしげと見た。

その時、フレミングさんは「あっ!」っと思うんです。

もしかしたら、ブドウ球菌はこの青カビが嫌いなのかもしれないと。

で、「アオカビの中に入っている何かがブドウ球菌をやっつけているんだ。」(と気付くわけ)

これが医学界の最高の大発見と言われている「ペニシリン(1929年)」でございます。

アオカビはどこにでもある。

正月のみかんをほっといたら青いのが出て来る。

あれが薬効あらたかで細菌をやっつけるという。

それで、このペニシリンから発生して、あの人類不治の病と言われた「結核」に対してとうとう、「ストレプトマイシン」という強力な青かび薬を作って肺病をなくしたんですから。

肺病と言うのはほんと、猛威を振るった病ですよね。

ところが、これでいわゆる抗生物質、抗生剤と細菌の戦いがペニシリンの発見で始まるんです。

(つづく)

 

鴎外さんは文豪として後世に名を残すより、本当は細菌学者として世の為に結果を出したかったんですね。

狙い通りにはいかないですね。

挫折ってそこら辺に転がっていますね。

並べちゃ失礼か(;・∀・)

 

動的平衡ダイアローグ 世界観のパラダイムシフト

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