「西郷どんと二宮金次郎さん」渋沢栄一、西郷どんを説得するの巻!『論語と算盤』に書いてあることを私なりに書き出してみた【第6章 人格と修養 その3】
西郷隆盛

1828~1877

薩長の軍事責任者として明治維新の立役者となる。

しかし新政府では意見の対立などから下野し、西南戦争で自刃する。

映画『ラスト・サムライ』のモデル。

二宮尊徳

1787~1856

通称は二宮金次郎。

独学で学問を修め、全国の疲弊した農村600余りを再建した。

西郷さん・・・参議
明治政府初期の重職で、立法、司法、行政を統括した

栄一・・・大蔵大丞

大蔵省で4番目にあたる低い地位

 

相馬藩(福島県東部)の「興国安民法」

二宮尊徳先生が相馬藩に招かれた時に考えた相馬藩繁栄の基盤になった「財政・産業の方策」

① 井上馨侯他渋沢栄一らが財政改革を行うにあたって「興国安民法」の廃止についての議論があった。
       ↓
② 相馬藩の富田久助、志賀直道(志賀直哉の祖父)が西郷さんに「興国安民法」を廃止にしないよう頼み込んできた。
       ↓
③ 西郷がそれを引き受けたが、まず大久保、大隈、井上に話してもムダだろうと思う。そこで渋沢栄一を口説いてみようと栄一の神田猿楽町の粗末な家に突然訪ねて来られた。

 

西郷「かくかくしかじかの事情があるため、せっかくのよい法を廃止してしまうのも惜しいから、渋沢の取り計らいで、この法が続けられるよう、相馬藩のために力になってくれないか」

栄一「それならあなたは、二宮先生の『興国安民法』とはどのようなものかご存じなのでしょうか」

西郷「それはまったく知らん」

栄一「ではご説明いたします」(実はその頃すでに充分調べてあった)

① 二宮先生を相馬藩に招きます。

② まず、過去180年間の細かい藩の収入統計を作ります。

③ 次に、180年を60年ずつ3つにわけて、それぞれに「天」「地」「人」とネーミングします。

④ 「天」「地」「人」の3つを比較し、平均収入額になった時期を「平年の藩の収入」と決めます。

⑤ ④の「平年の藩の収入」を一旦、横に置いておきます。
  今度は90年間を2つにわけて「乾(けん)」「坤(こん)」とネーミングします。
  この「乾」「坤」の2つを比較し、

  平均収入の少ない時期の方を、

  相馬藩基準(支出してもよい)額と決めます。

 ⑥ ⑤の相馬藩支出基準額で一切のやりくりをすると頑張ります。

 ⑦ ⑥により、後の某年の収入が④~⑥の予想より良かったら自然増収となります。

 ⑧ 増収分(余ったお金)を使って荒れた土地を開墾します。

 ⑨ 開墾によってできた"New田畑"は開墾した当事者に与えます。

 ⑩ ①~⑨一連の法が出来上がりました。

以上です

西郷「それは『収入を把握して、支出を決める』という昔の教えにもかなっていて、とても結構なこと。ならば、廃止しなくてもよいではないか」

 栄一「いかにもおっしゃる通りです。二宮先生の残された『興国安民法』を廃止しないで、引き続き行うようにすれば、それで相馬藩は必ずうまくいき、今後ともますます繁栄するでしょう。しかし、今は、国家のために必要な『興国安民法』に頭をひねる方が、相馬藩の『興国安民法』をどうするのか考えるよりも先決ではありませんか。西郷参議におかれましては、相馬藩だけに関わる『興国安民法』は大事なので、ぜひ、廃止にしないようにしたい、とおっしゃられます。しかし国家のために必要な『興国安民法』については、何も取り組まないでよいとお考えなのでしょうか。一国をその双肩に担い、国政の采配をふるう大任にあたっているお身体で国家のごく一部でしかない相馬藩だけの『興国安民法』のためには努力しても一国の『興国安民法』についてどうするのかというお考えがないのは、わけがわかりません。本末転倒もはなはだしいのではないでしょうか」

 西郷「・・・・・・」

 (そして帰っていった)

明治維新の豪傑のなかで、知らないことは知らないと素直にいって、まったく飾り気のない人物が西郷さんだったのだ。
心から尊敬する次第である。(栄一)

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