
保護者の皆様。いつもありがとうございます。
今回は、普段あまり語ることのない「教室の裏側(設計図)」について、お話いたします。
教室の授業の様子をご覧になりたくても、ご覧になれない方もいらっしゃると思います。
また、送り迎えで目の当たりにすることがあっても、
その目の当たりにするものの「背景」「なぜそうなるのか」、
これらについてからくりを知りたいと思われる方もいらっしゃるでしょう。
教室の生徒たちは、「一体何をしているのか」「アールズという教室の設計図」について、お話できる範囲で、4回シリーズでやっていこうと思います。
本日はその第1回「教室の静寂が意味するもの」です。
来訪者の驚き
見学に来られた方や、送迎に来られた保護者の方が、驚かれることがあります。
「みんな勝手に勉強している」
「なのに静かだ」
「教室がざわついていない」
などです。
先日、某中学の校長先生が見学に来られて、
「自主的に勉強に取り組んでいる生徒が何人もいた。しかも、教室が静かだった」
と驚かれていたそうです。
今回は、その「静寂の正体」についてお話いたします。
「教えすぎないが、教えるべきは教える」という指導。
もう私は体に染み付いているので、「指導」なんて大層な言葉を意識することもなかったのですが、よくよく考えてみれば、これがまず1つ目のポイントになることに気がつきました。
目の前にいる生徒によって
①「一緒に正解をたどりながら伴走する」
②「正しいやり方をやって見せる」
③「ヒントだけ与える」
④「突き放す」
を使い分けています。
使い分けは、生徒の能力、到達度、性格、ふだんの教室での様子などを総合して判断します。
言語化することで①②③④の段階のような説明になりますが、
この①から④の間には無数のグラデーションがかかっており、さながら虹のようにつなぎ目のない調整を行っています。
思い込みを剥がす
そして、その対応と同時進行で、
多くの生徒が抱えているだろう「勉強についての思い込み」を剝がしてゆくことができれば上々なのですが、
現実は厳しいもので、なかなか時間がかかってしまいます。
「勉強についての思い込み」に関して言えば、以下のような典型例が見られます。
短期的とは、「1枚のプリント」「1つの課題」「1回の授業」を指します。
そこでの立ち回りで及第点を得ることが最大の目的であるため、「真の実力を獲得すること」への意識が薄弱。
いわゆる「良い子ムーブ」です。
無難に切り抜けて、真面目にやっているポーズをするのが上手な生徒もここに入ります。
私の目はごまかせないので、こういう生徒にはタイミングを見計らって切り込むことがあります。
何らかの理由で、✕(バツ)になること、先生の前で間違うことを過度に恐れるため、
固まったり、まともな受け答えができなかったりするタイプです。
原因は、自尊心、承認欲求、安心基地の欠落など生徒によってさまざまです。
生徒の精神的な成長というのは非常に時間がかかるため、私が「伴走する」のはこのタイプが多くなります。
ただし、教室に通い始めたときは、この傾向が強い場合でも、教室の文化に慣れて時間が経過すると「間違いを過度に恐れる態度」が消えていくケースがほとんどです。
補足:幼児に多く見られますが、幼児の場合は「安全欲」が小学生より強いだけというケースが多いので、さほど問題視する必要はありません。
この思い込みが一番困りものです。断言しますが、小学生のうちからテストの点数を競うのは「百害あって……」とまでは言いませんが、利よりも害の方が大きいことは、長年この仕事をやりながら感じているところです。
極論すれば、ペーパーテストというのは、クイズ合戦と同じです。
その生徒の「生き抜くための底力と強靭な土台」がそれで育つわけではありません。
テストに対しては、その子の今持っている能力や適性に応じて適当にあしらっておけばよいのです。
世の中には、いろいろなタイプの人がいて、一人ひとりはそれぞれ偏った能力であるものの、それらが力を寄せ合うことで、価値や生産が生まれています。
たとえば、私は大雑把でずぼらな性格なので、その弱点は妻や教室の先生方が補ってくれています。
にもかかわらず、相変わらず公教育においては、
たとえば、公立高校入試が「5教科の合計」で決まるみたいなことを未だにやっています。
誰もかれもがジェネラリストでなければ、望む高校にも入れないというのでしょうか。
こんな制度にすべての生徒を適応させようとしているのが現在の世情です。
「人間だれしも得手不得手はありますよね?」
と言えば皆が首を縦にふるのに、
「高校入試は5教科合計」
が平然と行われているのは、人の価値観に制度が合致していない証左です。
つまり、間違っているのは制度の方であるため、人間がそこに無理に適応しよう、
あるいは我が子を適応させようとするから、おかしな歪みが生まれます。
このことを、もっと真剣に考えた方がよいでしょう。
さて、やや強めの口調が続きました。話を教室にもどします。
「テストで100点=頭がいい」は間違っていると言いながら、私は実のところ
「学校の勉強で困ってることない?」
「困ったら相談してね」
という声かけを生徒にします。
なぜか。「子供に罪はない」からです。
私は、教室は「鍛錬・修練の場」であると同時に「勉強の安心基地」でありたいと考えています。
その中で、生徒の学習態度に「自らを成長させるため」「自分なりにレベルアップするため」という要素が醸成されることを願いながら日々の授業をこなしています。
この「内なる動機付け」を醸成するための、教師側の考え方とアプローチが、巡り巡って「自主的に勉強に取り組む」「必要以上にざわつかない」という現象を生み出しているのではないでしょうか。
能動的な静寂
教室の静寂について、もう1点触れるとするならば、この静寂は
「管理された静寂」ではなく、教室という場の設計が作用して自ずと起こっている現象だということです。
クモの巣のように張り巡らされたインセンティブ
生徒達は、ただ単にプリントをこなしているのではありません。
課題への「没入(フロー状態)」へ導くため、いろいろな仕掛けをしています。
分かりやすいのは幼児です。
勉強を1枚(1ページ)やるたびにメダルがもらえ、メダルを集めるとガチャガチャが回せる。
幼児は、「自分の成長のために勉強する」という考え方はできません。
だから、分かりやすくシンプルな動機を設定して、勉強に取り組んでもらう仕組みにしています。
また、教材についても、幼児ならではのさまざまな工夫をこらしていますが、これについては後日詳しく触れられたらと思います。
では、小学生以上はどうか。
まず、貼り出しです
「暗算十傑」「暗誦二十傑」
のように、上位者は名前を貼り出してその栄誉を称えます。
また、百人一首の暗誦に関しては、教室正面に名前の一覧があり、十首暗誦するごとに金シールが貼られ、誰がどれだけ暗誦しているのか、一目瞭然の状態にしています。
他にも、
100枚チャレンジ(プリント100枚で自分の当たりくじを作れる)
プレミアムラッキーカード
など、学習の節目でもらえるご褒美を設定しています。
これにより、生徒は、それぞれ自分の目指すものに向かってゆくことになります。
・100枚チャレンジでくじを楽しみにする。←たくさんプリントをやる必要がある
・プレミアムラッキーカードをもらいたい。←検定に合格。国語教材を1冊終わらせる等。
・名前の貼り出しランキングが気になる。←取り組んでいる教材を進行させなくてはいけない。
のような感じです。みんな性格がちがいますので、誰にどの仕組みが刺さるのかは予想できません。
予想不可能だからこそ、教室でさまざまな学習のインセンティブを仕掛けています。
インセンティブに関しては、これより細かい仕掛けもあるのですが、皆様に知っていただきたいのは、「教室はいろいろな仕掛けが張り巡らされている」ということです。
無論、「ごほうびばかりにつられて本質を見失う」ということがあってはいけません。
したがって、メダルを集めてガチャガチャを回すというのは幼児限定にしていますし、折々に差し出すご褒美も度が過ぎないようにバランスを考慮しています。
こうした細部の積み重ねと、制度設計によって、結果的に生徒が自主的に課題に集中するという状況が生まれます。
「うるさい」「静かに」
なんて、毎日怒り続けていたら、こっちの頭がおかしくなってしまいます。
なるべくそんなことを言わずに済むようにと、試行錯誤を繰り返していくうちに今の形が出来上がりました。
もちろん、しゃべる子もいます。
ボーっとしてあまり勉強が進まない子もいます。
しかし、全体的な教室の文化・風土として、「自主性」「静寂」はうちの教室の特色になっているのは事実です。
ただし、最近幼児が増えてきましたので、幼児の皆さんが多い時間は、雰囲気が幼稚園ぽくなりますが、それはそれで可愛くてよいものだと感じています。
まとめ
教室で起こっている「自主性」「能動的静寂」という現象の裏側にあるものを解説したつもりですが、うまく書けたか自信がありません。少しでも伝われば幸いです。
次回は「第2回 143段のスモールステップ(仮)」という題で、うちの生徒に自主性と集中をもたらしている仕組みについて解説しようと思います。


