
前回記事では、そろばんを習うことで生まれる圧倒的な差についてお話させていただきました。
これについて予想される反論は分かっています。
保護者A「自分はそろばんを習ったけど、そんなに役に立たなかった」
塾講師B「そろばんを習得するのに、時間がかかりすぎるのがデメリットだ」
こんな感じです。
実際に、長年そろばん教師をやっていて思うのですが、これらの反論は実は少し的外れになります。
これまでに、うちの教室で学習した生徒の中で、
✔たいして成果が出ない、
✔進級が遅い
という生徒には共通点があります。
「あれこれやりすぎ」
「通う回数が少ない」
この2つが、成果を実感できないことの主な原因です。
たとえば、学習塾、ピアノ、水泳、プログラミングなどなど……
どれも素晴らしい習い事です。
かけもちは珍しいことでもないですし、かけもち否定派ではないのですが、
あまりにいろいろやりすぎて、そろばんが中途半端になるのは大変もったいないことです。
ちょろちょろ通いながら、もたもた級を進めるよりも、
週に何度も通って、1~2年で段位に届くような勢いで集中的にやる方が
「そろばん習って本当に良かった。」
と思える可能性が高くなります。
得られるメリットは、他の習い事を犠牲にしたデメリットを大きく上回ることでしょう。
そして、そのメリットとは、高い計算力だけではありません。
そろばん上級者となるためには、気の遠くなるような反復練習の積み重ねが求められます。
これは、物事に「熟達する」過程を経験することでもあります。
物事に「熟達する」過程で得られる力にはどんなものがあるでしょうか。
今井むつみ先生の著作から引用します。
ただちに本質を見抜く力、臨機応変な応用力、普通の人には見えないものを見分ける識別力と、いま目の前には見えないモノ、コトの究極の姿を思い浮かべる審美眼。このような能力の背後にあり、すぐれた判断や行動を可能にしている心の中の判断基準を認知科学では「心的表象」という。この心的表象をより洗練された、よりよいものに育てていくことが熟達の過程なのである。
『学びとは何か』(今井むつみ)より引用
この本は、スキーマ理論についての詳細な解説が、一般人にも分かりやすく書かれており、保護者の皆様にも強くおすすめしたい一冊です。
さて、引用文の中で最も重要な言葉は「心的表象」です。
①ただちに本質を見抜く力
②臨機応変な応用力
③普通の人には見えないものを見分ける識別力
④いま目の前には見えないモノ、コトの究極の姿を思い浮かべる審美眼
このような能力の背後にあり、すぐれた判断や行動を可能にしている心の中の判断基準
であるそうです。
どうも「心的表象」というのは、どえらい能力のことを指しているようです。
「心的表象をより洗練された、よりよいものに育てていくことが熟達の過程なのである。」
つまり、熟達する過程を経験することは、「心的表象」を良い方向へ育てるという相乗効果を得ていると今井氏は述べています。
このことは、そろばんに熟達する過程も無論あてはまります。
そろばんの上達過程は、計算力だけでなく、心的表象の育成にも好影響を与えることを意味します。
見過ごすにはもったいない、巨大なメリットです。
もちろん、子供はあらゆる可能性を秘めており、どんな才能が眠っているか分かりません。
したがって、習い事をいくつか掛け持ちすることは悪いことではありません。また、スポーツ系、音楽系など、勉強とは関係ない分野との併用は、相乗効果が生まれる場合もあります。
しかし、そろばんを習い始めて、習っている本人が
「そろばん楽しい」
「上手になりたい」
と感じるのならば、多少他の予定を犠牲にしてでも、教室で練習する回数を増やすよう私はおすすめします。
そろばんが向いていない、好きになれないと感じる場合は、他の分野での熟達を目指せばよいと思います。
「回数を増やすこと」に関して、親の希望・親の気持ちが本人の気持ちを上回ると逆にうまくいきません。一番大切なのは本人の気持ちです。
何かに熟達するためには、
神道での「中今」、
般若心経での「空」、
スポーツでの「ゾーン」
に入る必要があるからです。
自分が「やりたい」「上達したい」と感じているときと、
親から「やりなさい」「がんばりなさい」と言われながらやっているときでは、
天と地ほどの差があります。
同じ時間、同じ枚数を練習しても、得られる成果には大きな差が生まれるものです。
そろばんにとどまらず、ある習い事で熟達の上昇気流に乗りたいとき、親が無理やり乗せることは不可能です。
親にできることは、せいぜい「見守る」「応援する」「話を聞いてあげる」ぐらいです。
さて、第2回から第3回にかけて、
そろばんに熟達する過程で得られるメリット
熟達するための望ましい条件
についてお話してきました。
次回は国語についてお話いたします。