私が考える「読み書きそろばん」教室の要件とは以下の通りです。

① 素読を取り入れた国語指導を行う

② そろばん指導を行う

③ 昔の寺子屋風の教室スタイル

 

もくじ

① 素読を取り入れた国語指導を行う

私は、国語指導において素読は必ず行わなければならない指導であると考えています。

これは、運動における基礎体力のようなものです。

いくら技術的なことを練習しても、基礎がしっかりしていなければ高度な技術は体得できないという考えです。

サッカー選手であれば、いくらトラップやパスが上手でも、走力や体幹が身についていない選手は試合で使い物になりません。

学習においては

「正しく読む」「正しく書き写す」「正しく暗誦する」

ということが基礎的な訓練となります。

これを鍛え、高い水準まで持ち上げることで、強固な基礎力が養成されます。

 

ただし、「素読だけ」というのも物足りなさが否めません。

「漢字の読み書き」

「文法・語法」

「論理関係」

「文章読解」

「要約・作文」

などの学習も備えていなくては、現代的とは言えません。

 

素読による「読み書き」の基礎を訓練しながらも、今の児童たちに必要な学力も鍛えられるのが理想です。

「読み書きそろばん」と口にするときの「読み書き」とは、「国語力」を意味すると考えています。

ならば、「読み書きそろばん教室」は「国語力」を高めることに本気で取り組まなくてはなりません。

国語力を高めるためには、いろいろな角度から総合的に力をつけることが求められますので、私の教室では高学年になるほど、国語学習が多面的になってゆきます。

 

 

② そろばん指導を行う

そろばん指導を行うことで、生徒達に圧倒的な計算力を身につけさせることができます。

そろばん学習から得られる計算力は、誰もが身につけることのできるものとなります。

才能や頭の良さはほとんど関係ありません。

一般的には、練習さえすれば、誰でも獲得できるのがそろばん式の計算力です。

そして、この計算力は、一度身につければ、ほぼ一生を通じて衰えることはありません。

そして、算数・数学の学習において、圧倒的なアドバンテージを得られることは皆様ご存知の通りです。

 

しかし、一口にそろばん教室と言っても、さまざまな教室があります。

圧倒的な計算力を身につけたくて入会したものの、

「こんなはずじゃなかった」

というそろばん教室はあります。

悲しい現実ですが仕方がありません。

「近いから」「授業料が安いから」「友達が通っているから」

などの理由で教室選びをすると失敗することが多いようです。

少なくとも、有段者が複数在籍しており、競技会にも積極的に参加している教室が望ましいでしょう。

したがって、私の教室はそれを実現しています。

 

③ 昔の寺子屋風の教室スタイル

「寺子屋風」とはどんなことか。

それは、いろいろな学年の生徒が、ひとつの教室に集まって、それぞれに学習する形態です。

しかも、学年に関係なく、自分のレベルに合った課題にそれぞれが取り組んでいる様を指します。

 

たとえば、同じ暗算3級でも、1年生が取り組むこともあるが、5年生が取り組むこともある。

古今和歌集仮名序の学習を、1年生で行う者もあれば、3年生で行っている者もある。

それぞれの習熟度に合わせて、自分の課題に取り組んでいるのがまさに「寺子屋風」であると言えるでしょう。

さらに、「そろばん学習」に力を入れる生徒もいれば、「読み書き学習」に力を入れる生徒もいる。

 

百人の生徒が、百通りの達成度と課題を個別に有している状態

 

これこそが「寺子屋的な」個別指導の神髄であると考えています。

 

これらの学習を、可能な限り高い水準で行っているのが私の考える「読み書きそろばん教室」となります。

 

 

そして、上記の学習に関しては、

「指導者が自ら作成した教材」

で行うのが私の求める理想であり目標です。

(受験指導等を除きます)

 

 

したがって、私の教室では、私と教室スタッフが制作した教材を使って学習指導にあたっております。

 

まとめ 寺子屋の現代への復刻

これらが私の考える「読み書きそろばん教育」であり、「現代版寺子屋」の復刻です。

 

江戸時代の寺子屋の師匠は、その多くが「往来物」を手ずから制作し、弟子たちに指導していました。

 

それに比べて、明治維新以降の教育は、何か変な形に捻じ曲げられたと感じています。

明治の学制から始まり、今日に至る公教育の在り方というのは、どうも……。

 

一方で、江戸時代に行われていた民間教育、すなわち寺子屋型の教育は、

ヒエラルキーやピラミッドや偏差値とは一切の関わりがない、自由で闊達な雰囲気があったと思います。

日本人にとっての教育の最適解であったと考えています。

 

だからと言って、ノスタルジックな復古主義に浸るような知的怠慢が許されるとは思っていません。

 

時代は常に移り変わるものですから、最新の教育技術の成果を取り入れながら、日本人にとって最良の学力形成の在り方を追求していかなくてはなりません。

 

私の考える「読み書きそろばん」教室は、その一つの回答になっているのではと憚(はばか)りながら思う次第です。

 

さくらぷりんと
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